bBLOG

2017.10.12.Thu

レコ発ライブのこと。「ライブをやりたい」

「他者からの評価に頼らずに自分の成長に意味を見出せるか、でないと辛いし意味がない」みたいなことって、そんなことできるわけがない思っていた。
他人からの評価でしか、自分の行うことの価値なんて作られるわけがないし、客観的にもそれがあるかないかでしか判断しないだろと思っていた。

 

 

Sensitive Brothersレコ発ライブが終わりました。

このバンドはそんなに多くライブができるわけではないので、1回のライブからすごくいろんなことを感じ取ってしまうのだけれど、今回の感覚はまたすごく複雑で難しい。
興行的には普通に失敗してます。 今まで自主企画はもちろん一回も黒字になったことはないけれど、今までで一番赤字だった。

ただバンドの演奏的には今までで1番の演奏ができて、そのことだけで今までの価値観や考え方が一気に変わってしまうくらいの感覚もあったのだ。

 

 

 

Sensitive Brothersは結成して3年。
初めてのCDを作ってからレコ発ライブまで終えて、1つのストーリの区切りというか僕的にやってきたことのちょっとしたゴール感があって、ライブを行う前は、あるいは出番の直前でも少し「結構がんばったけどしんどくもあったし、もうこれでいいかな」と思い始めていた。
僕はもともと自分が行うことや選択したことに慢性的に罪悪感があるので、それはすなわち自分に期待しているので、3年間ずっと僕は、自分がバンドやライブを行ってお客さんにそれにお金と時間を割いてもらうということも、もっといえばメンバーにさえ練習などの時間を割いてもらうことを申し訳ないと感じていた。

その気持ちがなくなるくらい強い思いで行動して夢を見させなくてはいけないとか、行動で示せ、というのがバンドだったりなにかを作る人だと思うんだけど、
僕の場合どれだけ自分を騙そうとしても無理で、『そうでなければ私じゃない』という標語を持ち出してそこを割り切って、引け目のある表現の最高峰みたいな価値を何とか見出そうとしていた。
根本で考えることがダサいのだから、無理をすることでそれを価値に思ってもらおうという魂胆だ。

そんなことを考えているから、僕の活動は本当に言葉通りの意味で、受け手からの評価でしかやっていることの意味や幸せを見出せなくなっていったのだった。
そうでなければ私じゃないと割り切ってしまうと、他者評価だけで行動することの辛さを説いている標語などはすべて嘘にしか見えなくなり、
当然、自分でやっていることも評価が得られないのならよくないことになっていってしまう。
その意味で興行的に数字が良くなかったりしていくと、つまりやらないほうが良かったことになっていってしまい、もちろんお金もなくなっていくし、評価が得られないのなら意味や価値がないことが証明されて、少しずつ原動力を問いかけられているような感覚になってくる。

曲を作って演奏してみたいという感情や衝動に従って始めた活動だけれど、いつまでも最初の衝動が持続しないことにコンプレックスを感じていた。
何かを表現したい欲求とか、作らずにはいられないような衝動が、訪れないことに悲しさを感じていた。
それでもまだ、「大丈夫、やりたい」と思えるし作りたいと思える時もあるからやっていて大丈夫と言い聞かせていたのだけれど、数字によって評価の得られなさが証明されていく感じがしんどくて、開催前の赤字見積もりですでに暗い気持ちになってしまっていたのだった。

もしかしたらそんな気持ちが影響したのかもしれないんだけど、今回のSensitive Brothersライブは、しかし演奏が良かったのだ。
理由としてはやっぱりレコーディングをしたりそれに伴って練習をしたり、曲への理解やアレンジへの考え方深まっていって、なんか初めてメンバー全員が「Sensitive Brothersの曲」として演奏している感覚があった。
僕も気づかされたんだけど、僕ですら今まで、僕が作った「僕の曲」という認識があった。
そうではなくて、これは「バンド(自分)の曲」であったのだ。
そしてバンドとは自分のことであるのだという感覚がメンバー全員に明らかに増えていた。

演奏してる感覚として、全員が明らかに燃えていた。盛り上げる方向や曲への理解を深めていた。
同じ曲なのに演奏していて全然違う曲あるいは、新しい曲をやっているような新鮮な感覚があって、そしたらなんか演奏とか歌い方とかそういう「身振り」みたいなものも大胆になっていった。それはつまり僕が間違えたり弾かなかったりしたとしてもメンバーが良い形に演奏を仕上げてくれるという信頼感のようなもので、なんか、バンドになっているというか、バンドであることの意味はこういうことというか、バンドとしてもう完全に「成長」しちゃってた。それを如実に感じられた。

数字的な評価に基づいて「今回で終わりにしてもいいかな」という考えが、じゃあどうせならと自分になにかタガを外させたような感じもあるんだけど、完全にノッてしまっていたし、楽しかったし、感情や気持ちがすごく入っている感覚があった。

1曲目でその感覚がものすごくあって、そしたらMCとかもすごい気楽になっていた。
「レコーディングに70万円くらいかかったのに人には4~50万だったよってサバ読んじゃうのなんでだろう」とか「鎌倉のレコーディングスタジオに殺意がある」みたいな全くそんなこと喋ろうと思っていなかったのに出てくる言葉はどれも事実で気負いがなくてスムーズに話したりしていた。
これがどう思われるか、あるいは良いと思われなくてはいけない、と他者評価の基準をもう完全に無視していた。

 

 

つまり僕は、自分やバンドの成長に自分で価値や幸せを見出すことができたのだ。
そしてバンドとしてもこのバンドがある意味とか演奏する意味が今までで一番見えていたのだった。

「ただ演奏する」ということは今後もうないのだろうと確信できたのだった。

 

 

 

今回のゲストバンドは2組
ぱいぱいぱいチームと、g.a.gというバンドでどちらも全然毛色の違うバンドで、追求しているものが違うのに、それによる異なるかっこよさや色があった。

ぱいぱいぱいチームは、ライブとは本当にお客さんとの相互コミュニケーションになっているのだということを感じさせてくれて、僕もベースを演奏していて本当にうれしい気持ちになった。

g.a.g.の曲や歌詞はとてもアバンギャルドで、その見た目も含めて独自のパフォーマンスを作っていてかっこよかった。
メンバーのぼく脳さんは扁桃炎になっているのに頑張っていて、あとで聞いたら「俺は体調捨ててるんで」と言い切ってて体調って捨てられるんだと思ったしすごいかっこよくて。

つまり自分たちのなかに何があるかを追求する方法に貴賤はなくて、その形式に対しては誰も評価で決められるものではないと感じたのだった。
それは僕が自分のバンドに対して感じる考えを改めるのにまたすごい影響したのだった。

となるとなんだけど、Sensitive Brothersは今後のライブがすごく良くなるはずで、マジで1回見てもらえれば、ライブさえやらせてもらえれば、今後も聴いてみたくなるようにさせる自信がはっきりある。

たぶんこういうのってライブの回数重ねてバンドとして過ごす時間が多くなるほど早く訪れる成長だったはずなんだけど、僕は3年かかってしまいました。

ただ興行的に動きのない自主企画をうつ余力がなくなりつつあるので、
そうなると出られるライブはまたブッキングライブとかそういうことになっていくのだけれど、これはしばらくやっていなかったので3年前の結成時には相手にされなかったライブハウスにもデモを持ち込んだりして、演奏機会を増やしたいと思います。

あとはもうお願いなんだけど、僕たちは演奏させてもらえれば物販でCD売ってつなげるので、僕以外のメンバーの交通費だけ保証してくれればどこへでも演奏しに行かせてもらうのでライブ出演のオファーをもらえないでしょうか。
たぶんなんだけど、5人組でジャズっぽい要素があってウッドベースでってちょっと敷居が高いというか呼ぶのにハードル高そうなイメージあるんじゃないかと思うんだけどどうなんだろうか。
今までだってオファーがあれば出たかったけど、出演オファーがないのは単純に曲や自分に価値を見出してもらえないからだと他者評価の目線で考えていたから視界がふさがっていたけど、今は自信をもってライブが熱くて良いのでといえるし、もしかしたらオファーの敷居も高いのかもという発想すら生まれたので、素直にライブ出させてくださいと言えます。

ご依頼お問い合わせは、

ninja-bu@hotmail.co.jp   までお願いします。

 

 

僕はまだまだ自分のなかの考えと戦っていたのだということがわかったけれど、
やってよかったかどうかはやった後にしかわからないというのは改めて本当だね。

IMG_4083

IMG_4085

IMG_4090

Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket


sSOUND

0VIDEO

ttwitter