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2016.09.24.Sat

ずーっと自分の話

おじさんから逃げたいと思い続けている私ですので、自分の中におじさんぽい行動や考え方がどんどん見つかっていくのが毎日すごく悲しくて。
なかでも「自分が一番正しい」は、何度捨てても捨てるたびに1.2倍くらいずつ大きくなって帰ってきて、何食わぬ顔で頭の中に居座っている。
もう他の物を置くスペースがなくなってきたよー。

毎日、全く理由も根拠もない「経験」という言葉が作る毒(自信)が、自分の考え方や感性が固めてゆく音が聞こえてきて。
いや、今やもう1日いらない。体感6時間ごとくらいに前にどう考えてたか思い出せない。これはとてつもなく恐ろしく、さらにその逃れられなさが毎日更新される辛い出来事です。
これがあまりにも怖いので、おじさんたちはみな自分の心を守るために、その加齢と経験に寄る自信を受け入れ、自分に本当にその資質があるように錯覚させて考えることをやめるておじさんになっていくのだと思いました。

 

そこまで考えて僕は、自分の中のおじさん性を許さないのと同時に本当のがっつりおじさんへの軽蔑と蔑みがえげつないことになっていることにも気がついた。
僕はできるだけ誰にでも優しくありたいと思うけれど、おじさんに対して何も許してない。
例えば僕はこの間、僕に対して「店員に敬語使うなよ」と言ってきたおじさんにブチ切れて喧嘩になってしまったのだけれど、おじさんトリガーでのみ起きる僕の怒りの衝動は、とてもおじさん的だと思った!

僕は僕の中の暴力性に驚いてひどく落ち込んだし、それはすなわち僕もいつしか駅員さんを罵倒するような人になってしまうということでもあります(なにせ素養と経験がある)。

もう僕は両足どっぷり入っているので「気をつけなくちゃ」の時期はとっくに過ぎていた。
様々な「禁止」をもってやっと生活していいことになるくらい。
「今」は誰にとっても大事な今しかないけれど、経験による恐怖に抗っている感覚によってより強く今を感じられるというのも不思議なものだね。

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