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2016.08.23.Tue

遠く楽しくやりませんか

好きなもの、良いと思ったものに対して「私はこう思う!こう評価した!」と表明するのがみんな最近多くって、少しだけしんどいです。

僕は色々なことを「黙って好きでいることが好き」だったりするので大きく表明もしないし、そしてただ好きなだけだから詳しい知識や確かな分析を持っているわけでもない。

すると段々、黙って何のアクションもしない僕は、詳しい人に比べて、好きと大きく叫ぶ人に比べて、対象を好きじゃないことになってゆく感覚があります。

これは僕が勝手にやっていることだから、他のみんながその表明をやめるべきでもやめてほしいとも思わないのだけれど、僕の極めて個人的な感覚では僕の「好き」は最終的に「その人に熱量に比べたら好きじゃない」にすり替わっていってしまいます。

最近は、みんなの大きな関心ごとになるような出来事(SMAPの解散とか、オリンピックとか、極楽とんぼがめちゃイケに出たりとか)が多くってよりそう感じることが増えました。

みんな好きで同時に好きでいいんだけど、
表明する勇気や、分析を試みる努力が僕の中に生まれなかったことが、同時に僕が
「結局そこまで好きじゃなかったんだ」ということを証明していきます。

そしてまた悲しいのが僕はみんなのそんな意見を見たり聞いたりするのが面白くって、心からの叫びのような表明や、好きゆえに見つけられた類まれな分析に、心から感心してスゲェなぁ!僕なんかより素敵だなぁ!なんて思います。僕の好きな気持ちを小さくさせていくものが同時に僕に強い感動と印象を与えて、こんなカッコいい好きの表明にビリビリにしびれて、それを表せるその人にバリバリ憧れちゃってます。

僕なんかが表明するよりもずっと深く理解して上手くやってくれる好きの表明を、自分に絶望しながらも心待ちにしてしまっているのです。
僕はいつからか、自分が好きを表明したい気持ちが少なくなってしまっているのでした。
僕はブログなんかで好きな音楽やバンドのことを触れたりしてみているけれどそれも僕が好きなものを誰かが好きと思っているかもしれない、表に立ったバンドとかやってるんならその方がいいだろうと思っての行動だったりします。
僕の好きなものを僕よりも好きで上手く表明できる人は山のようにいるだろうなと思いながら、その矛盾を抱えて表明しています。
好きな人が好きなものを好きになるのは楽しいことだからです。
僕のバンドを見ている人がそうだったらいいなあと思って書いています。
でも僕は、黙って好きでいることのほうが好きだから、あまり上手くいかなくて。

 
ということまで考えました。
好きなものの表明の仕方には様々な矜持や手段があるけれど、好きなものとの距離の取り方にもまた大きな美学があるといいなという話でした。

 

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